人生とは諸行無常、常に同じではなく、一時一時変化してゆくもの。
雲が空を行き、風が吹き、水が流れるがごとく留まることはない
・・・ものだそうだ。
…
色んなことが身の回りで起こり、様々考えをめぐらし、最近それがなんとなく腑におちてきたものである。
花が朽ちればどこかで新しい芽が出、雲が雨として地に落ちれば、海からまた天に昇る。
人生もまた、そういうものなのであろう。
…
雲は同じに見えても同様のものはないし、ヒトも同じものはない。
(蛇足だが 、稽古でも同じことをやってもそれは同じではなく、毎回違うものと感じ、素直にいそしむ事が成長する手段のひとつと先生もおっしゃっておられた。覚書として記しておく )
ひとりひとりが笑い、泣き、働き、遊ぶ。
それは決して留まることはなく、さらさらと流れゆく。
それはよい。
だがそこに、執着心をおこしてはならない。
あれが惜しいからといって留め続ける。
これは表面上自分の為のような気がするが、そうではない。
自分の心に保険をかけているだけだ。(甘えているともいえるかもしれない)
快楽を忘れたくない、のと、人は安心をもとめるからだろう。
執着心があるゆえ人はうらやみ、妬み、あるものを自分のものにしようと自らに「囲い」を設ける。
それで心が安らかになるだろうか。
居合では、「居つく」ことをよしとしない。
居つき、というのはその場にとどまることを意味し、残心とはまた違うものだ。
身体の外は動かずとも内は充実させ、力は出すが同時に抜き、止まっているが動いている。流れているが静止している。斬っていないが斬っている。そして刀を抜かずに勝つ。
そういうものだそうである。
武道とは全く奥が深すぎて手におえぬ。
やっていてもなかなかわかるものでもないが、わからぬものだからこそ、やってみたくもなるのだ…。
話が逸れたが、ひとつひとつのことに執着せず、
『行雲流水』
のことばのように、「もの、こと」にとらわれず自由に、そして自在な生活を送りたいものである。
今のところ難しいが。
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